編集中にフィルム焼失で短くなった! 「忠魂義烈 実録忠臣蔵」 よみがえるマキノ映画の神髄(夕刊フジ)

毎日快調ですか?


><br />aaa<br />運動不足は体調不良の原因となります。<br /><a href=https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2ZPEYS+ATYY0I+3ZJS+60OXE target=_blank rel=nofollow>習慣から変える!顔×生え際頭皮の一体ケア【はだぎわ美容液】</a><br />
<img border=0 width=1 height=1 src=https://www19.a8.net/0.gif?a8mat=2ZPEYS+ATYY0I+3ZJS+60OXE alt=
ddd

[ 元の記事 ]
出典元: 嵐寛寿郎(写真)や片岡千恵蔵もマキノ映画には欠かせない

【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】

 「忠臣蔵」映像作品は300本以上あるといわれる。その元祖ともいえるのは、牧野省三が1910年に撮った『忠臣蔵』。以後、省三は何度も「忠臣蔵」ものを撮っているが、ほとんどの作品は現存していない。

 現在、見られる貴重な作品は『忠魂義烈 実録忠臣蔵』だ。キャストは大石内蔵助に新派の伊井蓉峰、浅野内匠頭に諸口十九、吉良上野介に市川小文治、大石主悦は、省三の跡取りのマキノ正博。脇坂淡路守・寺坂吉右衛門に嵐長三郎(嵐寛寿郎)、吉良方の清水一角に月形龍之介、ラストで登場する目付服部一郎右衛門に片岡千恵蔵。

 物語は、内匠頭が吉良の嫌がらせで、勅使饗応の儀に装束違いの上に遅刻をして恥をかき、「鮒侍」とののしられ、松の廊下で刃傷に至る当日から始まる。即日切腹となった内匠頭が「庭先の桜が見事…」と言われ、ふと見ると片岡源五右衛門の姿が。涙でにじんで、その姿がぼんやり見えるところまで再現するきめ細かさ。そして、赤穂へ知らせる早馬が駆け抜けるところで「前編」は終了。後編は赤穂城での評定から、大石内蔵助の遊興三昧、妻りくらとの別れ、東下りのいきさつ。そして討ち入りへと一気に描く。名場面をテンポよく盛り込みつつ、前後編で63分という手際の良さである。

 実はこの作品、省三が自宅で編集中に火災となり、フィルムの大半を焼失。残ったフィルムを編集して28(昭和3)年に上映したため短くなり、68年、マキノ正博が製作した併映作『間者』のシーンを加えて再編集されたものだ。

 マキノ正博は、フィルム焼失の翌年に亡くなった省三の十回忌に、オールスターキャストの『忠臣蔵 天の巻 地の巻』を池田富保とともに監督。大石に阪東妻三郎、千恵蔵、嵐寛が2役ずつ務める大作となった。

 正博の異母兄で東映のトップ監督となった松田定次は内蔵助・片岡千恵蔵、内匠頭・中村錦之助、美空ひばり、大川橋蔵ら出演の大作『忠臣蔵 櫻花の巻 菊花の巻』など3度忠臣蔵作品を手がけた。今も東映のベテランスタッフは、ふたつのスタジオをぶち抜いた松田監督の豪華な松の廊下セットのことを語ってくれる。

 年末の名物映画「忠臣蔵」もマキノ家なくしては語れないのである。(時代劇研究家・ペリー荻野)

 ■忠魂義烈実録忠臣蔵(ちゅうこんぎれつ・じつろくちゅうしんぐら) 1928年公開、マキノ省三監督。牧野省三生誕50周年を記念した320作目の監督作。本文にある理由から短くなったため、急遽、マキノ正博を監督に『間者』を製作して併映。この『間者』と再編集版が68年に制作された。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です