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出典元: 大松博文のふるさと香川県宇多津町の中学校にたつ石碑。座右の銘の一つ「為せば成る」の自筆文字が刻まれている
「東洋の魔女」を1964年東京五輪で金メダルに導いた大松(だいまつ)博文を知る人々を訪ね歩いて話を聞く中で、改めて感じたのは、その練習のすさまじさだ。
「医学上、人道上、許されない過酷を選手に強いてきた」。五輪期間中の朝日新聞の特集面に、大松のこんな言葉が載っている。
体格や体力ではるかに上回るソ連に勝つには世界一苦しい練習をするしかないと、大松はレシーブ練習で、ときに選手の顔や胸めがけてボールをたたきつけた。回転レシーブの練習を始めた61年以降は特に、選手たちの体には青アザや生傷が絶えなかった。
それでもチーム内で「休む」は禁句。……
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