映画化権の段階から大きなトラブル 1979年「復讐するは我にあり」 実録映画事件簿(夕刊フジ)

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出典元: 変幻自在の演技だった緒形拳

【戦慄!衝撃!リアル! 実録映画事件簿】復讐するは我にあり

 1979年の『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)。タイトルは新約聖書の一節にちなんでいる。原作は5人が殺害された「西口彰事件」を佐木隆三が実録小説として出版、直木賞を受賞したもの。日本アカデミー賞やブルーリボン賞などを総なめした。

 物語は昭和38年、希代の詐欺師、榎津巌(緒形拳)は専売公社の集金人2人を殺害して金を奪い指名手配される。裁判所では弁護士を装い保釈金をだましとり、老弁護士も殺してしまう。浜松では大学教授を装い、旅館の女将ハル(小川真由美)をたらしこむ。だがニュースで榎津の正体がばれ、ハルとその母親も殺して逃亡する。

 この作品は映画化権の段階から大きなトラブルがあった。最初に動いたのは監督の黒木和雄。佐木隆三から口約束をもらったというが、深作欣二、藤田敏八といった大物監督も同様の主張を始めた。そのすきに今村昌平がちゃっかり正式に契約したので当然彼らはカンカン。大映や東宝も映画化権争奪戦に加わっていたというからすごい争奪戦だったわけだ。

 訴訟の動きもあり、佐木は今村プロとの契約を白紙撤回するという念書を書いた。ところがこれを今村側がはねつけた。結局、佐木の別の作品(「海燕ジョーの奇跡」)を藤田が映画化することで折り合いが付いたという。

 実は当時、今村プロは2000万円の借金を抱えていたが、この作品が6億円を稼ぎ出し、救いの神となった。

 黒木は原田芳雄を主演に考え、版元の講談社は野坂昭如が立候補していたことを明かした。一方、今村は渥美清を想定したが「寅さんのイメージは壊せない」と断られた。いずれも実現していれば一味違った殺人犯になっていたはず。ただ今村は後に緒形拳で正解だったと語っている。

 実際の事件では、マスコミから鬼畜といわれた西口だが捜査が難航。専売公社の職員を刺殺した6日後、瀬戸内海の連絡船で遺書を残して身投げした上着が見つかる。だがこれは偽装。その後、78日間に及ぶ逃亡劇は意外な結末で幕を閉じる。

 西口は長崎生まれで5歳で洗礼を受けている。熊本の教誨師の家に弁護士をかたって訪れた際、10歳の娘に見破られ逮捕につながった。警察は「12万人の警察官の目は1人の少女の目にかなわなかった」との談話を残している。(望月苑巳)

 ■復讐するは我にあり(ふくしゅうするはわれにあり) 1979年4月21日公開。監督・今村昌平監督、脚本・馬場当、池端俊策。キャッチコピーは「惜しくない 俺の一生こげなもん…」。弁護士殺害シーンは実際の殺害事件の現場であるアパートで撮影されたという。

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