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出典元: 大橋照子さん
【伝説のDJ大橋照子 やっぱりラジオはアメリカン】
1980年代前半、中高生の絶大な支持を得た深夜ラジオ「ラジオはアメリカン」(ラジアメ)が終わって22年。今も番組を愛する出演者やスタッフが集まり、「同窓会」を開くことになった。パーソナリティーだった大橋照子はファンとの再会を心待ちにしている。
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今、一番力を入れているのは「大橋照子の話し方教室」。人前で緊張しないで、上手に話すことができるよう、全国のビジネスマンにスピーチの指導をしているんです。実はその受講生にも、ラジアメの元リスナーが多いんですよ。
インターネットラジオで「大橋照子のドキドキラジオ」という番組もやっています。これはラジアメのリスナーたちから「僕たちがスポンサーになるから番組をやって!」と言われたのがきっかけで始まったんです。月額500円の会員制番組です。本当に多くのリスナーに支えられて、ここまでやってこられたんだと感謝しています。
以前から当時の番組スタッフと会うたび、「同窓会をやりたいね」って話していたんですが、今回ようやく実現することになりました。そして、どうせなら当時の番組と同じことをやろう-ということになったんです。
つまり、全国の元リスナーからおもしろメールを送ってもらい、それをステージで読んでツッコミを入れる。1日限定の“ラジアメ復活イベント”です。
あの頃と違うのは、読むのが「はがき」じゃなくて「メール」という点。メールの送信先とチケットの購入方法は、イベントの公式ホームページ「大橋照子と斉藤洋美の帰ってきたラジオはアメリカン」を見てくださいね。
タイトルからもわかる通り、私の後任パーソナリティーの斉藤洋美ちゃんや、構成作家の鶴間政行さんも出演します。しかもイベントの運営や演出も、当時のリスナーたちが手伝ってくれるんです。とはいえ、みんな番組制作や演出のプロとして活躍している面々。リスナーたちが社会に出て立派に活躍する姿を見るとうれしくなります。
みんなと会えるのがとっても楽しみです。待ってますね!=おわり(構成=穐田文雄)
■大橋照子(おおはし・てるこ) 山口県出身。1975年、慶應義塾大学文学部を卒業し、日本短波放送(当時)にアナウンサーとして入社。「ヤロウどもメロウどもOh!」のDJとして人気に火が付く。81年に退社しフリー。半年後にスタートした「大橋照子のラジオはアメリカン」が中高生リスナーの絶大な支持を得る。現在はラジオNIKKEI「私の書いたポエム」他を担当。NPO日本スピーチ・話し方協会代表。