「えー、これ全部アスベスト?」 堺市撮影ビデオにごっそり残存確認(写真4枚)(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: 中央に白っぽく見える扇形の部分がアスベストの1つ、発がん性の高いアモサイト(茶石綿)を含有する断熱材が「ごっそり残存」。右下が金属の円筒管(堺市提供映像より)

大阪府堺市は北部地域整備事務所の煙突内にアスベストが除去工事後も残っているとの指摘について、専門家による調査後「残存部分は極小」と強調した。だが、実際には状況はかなり違っていた。(井部正之・アジアプレス)

【写真12枚】堺市アスベスト「取り残し」問題

<西日本豪雨の傷跡>愛媛・広島 被災現場をゆく(1)「どこまで水が上がるかわからず、生きた心地がしなかった」(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: 豪雨被害を受けた広島県呉市のJR安浦駅前の商店街。炎天下、住民やボランティアが泥をかきだす作業を続けていた(撮影・栗原佳子・新聞うずみ火)

未曽有の災害となった西日本大豪雨。7月中旬、新聞うずみ火編集部では、矢野が愛媛県大洲市を、栗原が広島県呉市を訪ねた。被災現場を報告する。(矢野宏、栗原佳子)

大洲市は、県の西部に位置する人口4万4000人の小都市。かつて伊予大洲藩6万石の城下町として栄え、昔ながらの街並みが随所に残ることから「伊予の小京都」とも呼ばれている。市の中心部はなだらかな盆地で、その真ん中を県下最大の一級河川・肱川がゆったりと流れている。その肘川が決壊したことで広い範囲にわたって冠水し、少なくとも市内3000世帯が床上浸水した。

阿蔵地区は一帯が浸水した。井上ひとみ(62)、隆志さん(62)夫妻は築15年の木造2階建て住宅で、娘と孫娘の4人暮らし。

6日夜、激しかった雨はいったん小康状態になり、夫妻は浸水に備えて自家用車を高台へ移動させた。7日朝に外を見ると、辺り一面が水に浸かっていたという。
「水かさが上がるのが速く、どんどん自宅に迫ってきた」

畳や電化製品を2階へ上げようとしたが、居間のテーブルの上にテレビを置くのが精いっぱい。4人は2階へ避難した。

「バターン」「ガッシャン」――。突然、階下でけたたましい音がした。自宅に入り込んだ水で畳や床が浮き上がり、冷蔵庫や食器棚などが次々に倒れる音だった。テレビもテーブルから落ちていた。

水位の上昇は止まらない。

「階段の1段目、2段目と、上がってきた。『もう止まるだろう』と思っていたけど、5段目まで来た。どこまで水が上がってくるかわからず、生きた心地がしなかった」
 防災行政無線は「避難」を呼びかけていた。平屋の人たちはすでに近くの公民館へ避難していた。

テレビもラジオもないので、自分たちがどんな状況にあるのかわからなかった。

避難した方がよかったのではないか――という後悔と不安を和らげてくれたのが中学3年になる孫娘だった。落胆している大人たちを元気づけようと、クイズを出したり、おどけてみせたりしてくれたという。

また厚労省 アスベスト関連の永年保存文書220件を誤廃棄 全国13労働局で(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: アスベスト関連文書の誤廃棄を公表する発表資料の一部。2015年に続いて永年保存のアスベスト関連文書計220件が誤廃棄された(井部正之撮影)

厚生労働省の出先機関である都道府県労働局のうち、福島や兵庫など計13労働局で永久保存とされているアスベスト関連文書計220件が誤って廃棄されていたことが明らかになった。大規模なアスベスト関連文書の誤廃棄が判明したのは2015年に続いて2度目となる。(井部正之・アジアプレス)

[関連写真を見る] 人体蝕むアスベストの恐怖。石綿はすぐ身近にあった(9枚)

堺市で新たなアスベスト飛散が発覚 非公開の市に反発の声(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: 8月9日の堺市北部地域整備事務所アスベスト飛散の検証に関する懇話会のようす。十数名が傍聴し、意見が相次いだ(井部正之撮影)

2016年6月の違法工事以降、2017年3~4月の現場を片付ける除去工事では工事後にアスベスト残存を示す報告書の改ざんや隠ぺいが今年になって露見。さらには新たなアスベストの飛散まで発覚した。(井部正之・アジアプレス)

[関連写真を見る] 人体蝕むアスベストの恐怖。石綿はすぐ身近にあった(9枚)

<関東大震災95年>なぜ朝鮮人虐殺の事実を直視しないのか デマとトリックに騙されないために(加藤直樹)(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: 2009年に墨田区に建てられた「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」は、地域の人の協力も得て、きれいに護られている(2013年 撮影:yekava roboto)

今日は9月1日。1923年の関東大震災から95年が経ったことになる。

私が関東大震災時の朝鮮人虐殺を描いた『九月、東京の路上で』を刊行したのは、2014年3月のことだが、その翌年、横浜で講演する機会があった。話し終えて片付けをしていると、小柄なおばあさんが近づいてきて、穏やかな表情のままで、こう語った。

写真特集 関東大震災の虐殺事件現場を行く(写真9枚)

「私の祖父はあのとき、トビ口でここを刺されました」

「あのとき」とはもちろん、関東大震災時のことだ。そして、「ここ」とは後頭部のこと。彼女はそのとき、人差し指で自分の後頭部をトントンとたたきながら「ここ」と示したのである。

「奇跡的に生命はとりとめましたが、その後、朝鮮に帰りました」

彼女が日本にいるということは、彼女の父か母の代で、再び日本に来たということだろうか。生命はとりとめたとはいえ、障害は残ったはずだ。言葉に窮している間に、おばあさんはどこかに行ってしまった。

その後、実は私の父が、私の祖父が…という話を、在日朝鮮人からも日本人からも何度も打ち明けられた。私の目の前にいるのが、あのとき殺されていたかもしれない人の子孫なのだという事実は、胸に重かった。

朝鮮人虐殺の記録は、当時の公文書から地域住民の手記に至るまで様々な形で残されている。あまり知られていないが、中国人も殺されている。虐殺事件はその後、歴史学のテーマとして研究されるようになり、今はたいていの中学の歴史教科書にも記されている。そうした研究の蓄積を踏まえてまとめられたのが、2008年に内閣府中央防災会議の専門調査会が発表した「1923関東大震災【第2編】」だ。特にその第4章が虐殺事件に当てられている。

<地震・災害>東日本大震災被災者に聞く 「災害は誰の上にも起こる」(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: 東日本大震災の津波で打ち上げられた船(2011年5月気仙沼市にて撮影・玉本英子)

6月18日に起きた大阪北部地震。私の住む地域も大きく揺れた。「大丈夫?とにかく余震に気をつけて」。すぐに連絡をくれたのが、木村理恵さん(48)だった。東日本大震災の被災者のひとりだ。(玉本英子・アジアプレス)

7年前の3月11日午後、彼女は宮城県大崎市の職場にいた。突然、窓がガタガタと音を立て、地面が突き上げるように激しく揺れ始めた。コピー機が跳ねあがり、とっさに建物の外に飛び出した。遠くの山の杉林が、ゴムのようにうねり返っていた。

日本人にとってナショナリズムとは 映画「国家主義の誘惑」が問うもの(栗原佳子/新聞うずみ火)(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: 日本のナショナリズムを問う、映画「国家主義の誘惑」を製作した渡辺監督。(大阪市にて8月撮影・栗原佳子)

フランス在住のドキュメンタリー映画監督、渡辺謙一さんの新作『国家主義の誘惑』が9月1日から大阪・十三の第七芸術劇場で上映されている。日本人にとってナショナリズムとは何なのか。記録映像などで近現代の歴史を遡り、国内外の論客へのインタビューを交え、日本社会を覆う政治の正体を問いかける(栗原佳子・新聞うずみ火)

渡辺監督は岩波映画出身。1997年にパリに移住、フランスや欧州のテレビ向けドキュメンタリーを制作してきた。一昨年、日本で公開された『天皇と軍隊』(2009年)は、天皇制や日米安保、自衛隊などの問題に正面から切り込み、話題を呼んだ。

その続編ともいえる『国家主義の誘惑』は『天皇と軍隊』と同様、フランスでテレビキュメンタリー作品として製作されたもの。全編ナレーションはフランス語。海外から俯瞰するからこそ見える日本社会の姿が描き出される。

渡辺監督は、いまの日本人の「政治に対する意識が醸し出す空気」を「国家主義の誘惑」と位置付ける。そして、国際関係史、地政学の観点から、日本が欧米列強に対抗し、帝国主義、軍国主義への道を歩んできた歴史を丁寧にひもといたうえで、いまを、開戦前の時代と重ね合わせる。撮影を始めたのは自民が大勝した一昨年7月の参院選だったという。作品の冒頭シーンでは、安倍首相が街頭演説で「今日、北朝鮮がミサイルを発射しました」とボルテージを上げる。

国内外の論客にもインタビューを重ねた。政治学者の白井聡さん、TBS『報道特集」キャスターの金平茂紀さん、経済評論家の宋文洲さん、沖縄のミュージシャン、喜納昌吉さん、沖縄・東村の米軍ヘリパッド建設工事に反対する伊佐真次さんら。国会議員では山本太郎さんと自民党の山田宏衆議院議員にもインタビューした。歴史学者のピエール・フランソワ・スイリ氏、バラク・クシュナー氏、ミカエル・リュッケン氏のインタビューからは、歴史を直視せず、アメリカにおもね、沖縄に犠牲を押しつける日本の姿が、世界のフィルターを通し映し出される。

渡辺監督にとって撮影中、衝撃的に受け止めたのが天皇のビデオメッセージだったという。安倍政権の改憲スケジュールを遅らせることにもなったと位置づける。「フランスの視聴者からも興味深く受けとめられた」という。

映画「国家主義の誘惑」は、9月21日まで大阪・第七芸術劇場、横浜シネマリン。9月9日~14日まで名古屋・シネマテーク、9月8日~21日まで京都シネマなどで上映。

<大阪・京橋空襲慰霊祭>終戦前日の大空襲で200人以上の市民が死亡(矢野宏・新聞うずみ火)(アジアプレス・ネットワーク)

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出典元: 京橋空襲を経験した照屋さん。空襲時、死を覚悟したという。(大阪市内で8月撮影・新聞うずみ火)

太平洋戦争の終戦前日、米軍による最後の大阪大空襲で数百人の命が奪われた「京橋駅空襲」の被災者慰霊祭が8月14日、大阪市城東区のJR京橋駅南口にある慰霊碑前で営まれた。猛暑の中、参列した遺族ら250人が犠牲者を悼んで静かに手を合わせた。(矢野宏・新聞うずみ火)

73年前のこの日、米軍のB29爆撃機145機が来襲。攻撃目標は、大阪城内にあった大阪陸軍造兵廠。戦時中には6万5000人が兵器を作っていた東洋一の軍需工場だ。B29爆撃機は650発もの爆弾を次々に投下、造兵廠は壊滅的な被害を受けた。

攻撃の最中、1トン爆弾が近くの国鉄京橋駅を直撃した。駅舎は吹き飛び、線路は空に向かって折れ曲がり、駅周辺も焦土と化した。死者は身元がわかっているだけで210人、一家全滅したケースもあり、実際の犠牲者は500人とも600人とも言われている。

64回目を迎えた式典では、毎年、空襲体験者を招いて平和学習を行っている大阪市立聖賢小学校の6年生が作文を朗読した。「私の幸せは食べること、友達と遊ぶこと、笑うこと。それらをすべて奪うのが戦争です。みんなが幸せになるためにも戦争はしてはいけないと思います」
このあと、法要が営まれ、参列者が犠牲となった人たちに祈りを捧げた。

今年夏、聖賢小で空襲体験を語った照屋盛喜さん(85)は当時12歳。駅の北東にあった船舶部品工場に学徒動員され、空襲に遭った。逃げ込んだ防空壕は爆音とともに大きく揺れ、そのたびに死を覚悟したという。

空襲警報が鳴りやみ、駅に駆け付けると、吹き飛ばされた駅舎の石垣や柱、壁などが乗客を押しつぶしていた。あちこちに手足や肉片が飛び散り、土砂で生き埋めになった人たちから助けを求める叫び声が飛び交っていた。

空き地に掘られた穴に遺体が運び込まれ、次々に火葬されていく。照屋さんもトタン板を敷き、遺体を並べる作業を手伝った。そこに泥まみれの母親の遺体が運ばれてきた。よく見ると、赤ちゃんを背負い、小さな女の子を抱いたまま死んでいたという。
 
「女の子の土を払うと、『ギャー』という声が聞こえたんです。どうしたらいいですか、と近くの兵士に尋ねると、あごをしゃくって『穴へ入れろ』という。その女の子が私の6歳下の妹と重なって胸がしめつけられました」