日本が誇る特撮映画の原点…着ぐるみ、逆回転など当時の技術で“妖術”を表現 「豪傑児雷也」(夕刊フジ)

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【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】

 今年は「日本映画の父」と称される牧野省三の没後90年。今月開催された「京都国際映画祭」で「牧野省三賞」が、牧野の孫で昨年亡くなった津川雅彦(監督名・マキノ雅彦)さんに贈られたことも話題になった。

 1878(明治11)年、現在の京都市右京区に生まれた省三は、母が義太夫の師匠だったことから、芸事に精通。後に芝居小屋「千本座」を経営しながら、自らも舞台に立った。残された省三の写真を見ると、役者としても十分通用する二枚目である。

 小屋で活動写真の上映をした縁で、映画会社の横田商会から依頼され、省三は『本能寺合戦』を撮り、日本初の職業監督となる。

 彼が見いだしたのが、千本座に出ていた旅役者の尾上松之助だった。75(明治8)年、岡山に生まれた松之助は実に1000本もの映画に出演。「目玉の松ちゃん!」と映画館で庶民から声がかかるスターとなった。

 省三監督×松之助主演作『豪傑児雷也』(1921年公開)は戦乱の中で自分を救った父を殺された尾形周馬(松之助)が、仙人から妖術を授けられ、児雷也を名乗りあだ討を果たす物語。

 面白いのは、着ぐるみ、逆回転など当時の技術を駆使し、さまざまな妖術を表現したこと。日本が誇る特撮映画の原点といってもいい。敵に取り囲まれた児雷也の姿がすーっと消えたら巨体なガマに変身。パクパクする口に敵が吸い込まれていく…と思ったら吐き出した。そして、ついに敵は大蛇になって出現!

 約20分の無声映画だがその大半はチャンバラ。その立ち回りは、敵が一列になってわーっと斬りかかるのを、主役が手で押しとどめたり、見得を切ったりと古典的な歌舞伎的な動き。蛇もちょっとツチノコみたいだが、どこか愛嬌(あいきょう)がある。当時の子供たちにとって、妖術の映像表現は衝撃かつ感動だったに違いない。忍者のまねをして飛び降り、けがをする子供も相次いだという。

 いわゆる口だてで稽古をする大衆演劇に通じていた牧野と松之助の撮影現場で、台本はなかったともいわれる。歌舞伎や講談で人気のストーリーを斬新な映像で見る。たちまち庶民の娯楽の中心になった映画の基礎を作り、寺社仏閣を格好のロケ地として京都を時代劇の中心地にしたのも映画の父の業績なのである。(時代劇研究家)

 ■豪傑児雷也(ごうけつじらいや) 1921年公開、牧野省三監督。出演は尾上松之助のほか、市川寿美之丞や片岡長正ら。尾上松之助による映画初期忍術映画の代表作。

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